2010年10月20日
新参ブロガーのあれ・これ
<教え:その人間を、説明すること。。。>
ブログをはじめてまだ、3ヶ月ほどです。
社会的起業・三鷹コンソーシアムにおける講座で、作成法を学びました。
授業で先生は、「お客様の信頼に足る人間である、それを理解して貰うように、日々の自分の顔を示す、のです」と、おっしゃられました。
仕事の言葉をとおして、自分の顔を浮きあがらせる、とは、芸術作品にも劣らぬ、高尚な営みに感じられました。
<スタイルは、ひとそれぞれ>
塾仲間のブログを訪問してみますと、情報提供型(起業の計画・実践の報告)と、文化創造的なもの(創作品の提示、経験・考えの表明)の二つに分けられます。
私は、しばらくは、生き物としての人間、や健康の維持について、新たな認識や課題を掘り起こせるような、そんなページにしたい、と思いました。
方針は、そのときどきに湧き出た考えを、大題目、小題目に分ける。
きっと訪問者は、題目から文章に目を移し、そして次に、添付図や表、リンクした文献などに目を通す。
そして、私の至らない点について、コメントをして、最後に、庭の可愛い花の写真を見て、お口直しを~~。
書いて、互いに訪問、そしてコメントし合って交流、これがブログの基本でしょうか。
お会いしたことが有る方からのコメントは、また一段と、想像が膨らみ、脳の健康に良い気がいたします。
<はっ!とする、はっ!とさせるブログにーー>
ネットについては、「3次情報なんて、時間の無駄ョ」の友達もいます。
しかし、情報の相互伝達の速度や情報量は、ネットのメディアの右に出るものはありません。
訪問をすれば、文殊の知恵が、そこ、ここに瞬いています。
書き立てのブログは、思いが溢れ、気がついたら文字の洪水ーーということもありました。
どのように使うのも自由なブログですが、何らかの意味で読者のためになる、という意識を持って書くセンスは、大切にすべきですね。
ブログの世界にまず一歩、その結果、人は如何に多様なものであるか、という深い認識を得ました。
それゆえに、私には、不思議なエネルギーが、吹き込んで来ます。
<日ごとの糧>
現代社会が今日まで発展したのは、ヒトが言葉を獲得して、思考が出来るようになったからです。
思考したことを記憶(脳内と脳外)出来るようになると、洞察力が深まり、自ずと文明が開花しました。
言語と洞察と知は、同じヒト科で、私達と遺伝子が2%しか違わないチンパンジーでさえも、今後、獲得する可能性は無いでしょう。
私達だけの、素晴らしい能力です。
小学校で、「縄文・弥生時代の人々は、まだ文字というものが無く、口伝え文化であった」と、教わりました。
「日本人は、記憶力が凄いんだ!」と、びっくりしたものです。
大陸から漢字が伝わると、やがて、日本人は漢字とかなの二重言語を発明して、他に類を見ない、豊かな表現が出来るようになりました。
当然ながら、日本人の精神構造も、特異なものとなりました。翻って、昨今では、あいまいな日本人、もたれ合い精神、という言葉まで耳にします。
さて私の、もたれブログの今後は?
1たす1は、100、のような輪の広がりを、夢見ています。
ウルトラ・ビギナーのブログ観でした。

右の怖そうな実は、夏に咲いた、あの白い、優しい花(8月12日、記)のものです。
もうじき、パカッと、口が割れ、種が大地に、広がります。
ブログをはじめてまだ、3ヶ月ほどです。
社会的起業・三鷹コンソーシアムにおける講座で、作成法を学びました。
授業で先生は、「お客様の信頼に足る人間である、それを理解して貰うように、日々の自分の顔を示す、のです」と、おっしゃられました。
仕事の言葉をとおして、自分の顔を浮きあがらせる、とは、芸術作品にも劣らぬ、高尚な営みに感じられました。
<スタイルは、ひとそれぞれ>
塾仲間のブログを訪問してみますと、情報提供型(起業の計画・実践の報告)と、文化創造的なもの(創作品の提示、経験・考えの表明)の二つに分けられます。
私は、しばらくは、生き物としての人間、や健康の維持について、新たな認識や課題を掘り起こせるような、そんなページにしたい、と思いました。
方針は、そのときどきに湧き出た考えを、大題目、小題目に分ける。
きっと訪問者は、題目から文章に目を移し、そして次に、添付図や表、リンクした文献などに目を通す。
そして、私の至らない点について、コメントをして、最後に、庭の可愛い花の写真を見て、お口直しを~~。
書いて、互いに訪問、そしてコメントし合って交流、これがブログの基本でしょうか。
お会いしたことが有る方からのコメントは、また一段と、想像が膨らみ、脳の健康に良い気がいたします。
<はっ!とする、はっ!とさせるブログにーー>
ネットについては、「3次情報なんて、時間の無駄ョ」の友達もいます。
しかし、情報の相互伝達の速度や情報量は、ネットのメディアの右に出るものはありません。
訪問をすれば、文殊の知恵が、そこ、ここに瞬いています。
書き立てのブログは、思いが溢れ、気がついたら文字の洪水ーーということもありました。
どのように使うのも自由なブログですが、何らかの意味で読者のためになる、という意識を持って書くセンスは、大切にすべきですね。
ブログの世界にまず一歩、その結果、人は如何に多様なものであるか、という深い認識を得ました。
それゆえに、私には、不思議なエネルギーが、吹き込んで来ます。

現代社会が今日まで発展したのは、ヒトが言葉を獲得して、思考が出来るようになったからです。
思考したことを記憶(脳内と脳外)出来るようになると、洞察力が深まり、自ずと文明が開花しました。
言語と洞察と知は、同じヒト科で、私達と遺伝子が2%しか違わないチンパンジーでさえも、今後、獲得する可能性は無いでしょう。
私達だけの、素晴らしい能力です。
小学校で、「縄文・弥生時代の人々は、まだ文字というものが無く、口伝え文化であった」と、教わりました。
「日本人は、記憶力が凄いんだ!」と、びっくりしたものです。
大陸から漢字が伝わると、やがて、日本人は漢字とかなの二重言語を発明して、他に類を見ない、豊かな表現が出来るようになりました。
当然ながら、日本人の精神構造も、特異なものとなりました。翻って、昨今では、あいまいな日本人、もたれ合い精神、という言葉まで耳にします。
さて私の、もたれブログの今後は?
1たす1は、100、のような輪の広がりを、夢見ています。
ウルトラ・ビギナーのブログ観でした。

右の怖そうな実は、夏に咲いた、あの白い、優しい花(8月12日、記)のものです。
もうじき、パカッと、口が割れ、種が大地に、広がります。